平成30年度 活動報告

30年度 卒業研究発表会      平成31年2月16日(土)

『三川内陶磁器意匠伝習所と現代三川内焼の関わりについて』  

    ―郷土史と郷土の特産品を調査して―

          前川恵子さま

       『音楽が人のこころに与える影響について』    

    ― テゼ共同体、テゼの歌を中心に ―

           中野裕子さま

研修会「健康寿命を伸ばそう!」  15:00~16:00

長崎同窓会の平成30年度活動計画として「100年の人生に備えて健康寿命を伸ばす」を掲げ、研修会などを計画、実施しました。

その一環の締めくくりを「食生活改善」に焦点をあて、講師として

    雲仙市 食生活改善推進員連絡協議会会長 山口陽子氏 をお招きしました。

 

山口講師が研修会にあたり作成された、パワーポイント資料「元気で長生き!日頃の食生活を見直そう!」、プリント資料「野菜レシピ集」、「ひかえめ塩分!たっぷり野菜!」は、日頃の活動の積み重ねが蓄積された素晴らしい資料でした。

 

山口講師はその資料に沿って、時にはユーモアを交えながら、終始真摯な態度で丁寧に説明されました。

 

(参加された方の感想)

 私は、「男の料理教室」に月1回通っています。

 汁物に「塩、ひとつまみ」入れると料理が引き立ちます

 先生から「塩分は18グラム以下」と言われますが、どのような料理に何グラム入っている

  のかがわかりませんでした。資料(ひかえめ塩分!たっぷり野菜!)に、食品の食塩量が掲

  載されていたので、この表を冷蔵庫に貼って家内と研究し減塩に努めます。

 「生活習慣病のリスク低減は、まず減塩から」息の長いテーマに知恵とアイデアで取り組み

  ます。 

 

「公開講座の中の“あともう一品!野菜レシピをつくろう”を聞いての感想」

  長崎県が高血圧者数の全国ワースト1,2,3位と年々改善していることは、山口陽子食改

 さん達の地道な普及活動の賜物と思います。血圧130以下を目指し、塩分早見表を冷庫に

 張付け、緑黄色、淡色野菜摂取を心がけ貰った「野菜レシピ集から」お気に入りを見つけ仲

 間にも勧めたいと思っています。

講演会「ゴータマ・シッタールタの人生哲学」 平成30年10月14日(日)

       日 時: 10月14日(日)13時30分~15時  

       場 所: 長崎学習センター 4階 第二講義室 

       講 師: 長崎大学名誉教授 篠原駿一郎 先生

       参加者: 同窓会会員、学生、一般    計 65名


 講演会出席者からは

 

  「研究された成果を感じ、仏教用語も理解できて、たいへん面白かった」

  「講師の先生の評判が良かったから出席した。」

  「貴重な講演会でした。仏教のことは全く無知だった。『苦』は際限なく続く

    欲に起因することや、仏教に神概念がない訳は「『神様のことは分からな

    いから、端から問題にしない』という釈迦の考えに基づいている」という説

    明で腑に落ちた。

  「まだまだ煩悩を捨てられないで、四苦八苦しながら生きていくのでしょう

    か」

 

   「お釈迦様が悟られた境地を現在まで、世界の指導者が実践していれば世界

    は穏やかだったろう。」

  「ユニークで魅力的な先生と直接お話ししたい。」

    などと感想をいただきました。

★ 篠原先生からは

「これを機会に仏教に、特に原始仏教に興味を持っていただけた方が、少しでもおられたら幸いです。」とのことでした。

 

 

講演内容は「学びの窓」から「ゴータマ・シッダールタの人生哲学」をご覧ください

 

真向法体操    健康寿命を伸ばしましょう!

講演会後は「真向法体操」   32名参加

 

参加者は、石丸さんの説明と実技のもとに、約1時間真向法体操を体験しました。

「真向法体操」は、放送大学「体育実技」単位取得科目です。

軍艦島クルーズ・県庁新庁舎見学    平成30年5月8日(火)

研修会「軍艦島クルーズ」は雨空のなか・・・・☂

「軍艦島クルーズ」                参加者28

生憎、6日から続く悪天候に見舞われ島への上陸はできなかったが、悪天候時のオプションとして、クルーズ船は幾度も島を回遊してくれた。

船内では軍艦島専門ガイドによ島の歴史が詳しく紹介されている。無人島となり、41年「明治日本の産業革命遺産」となった軍艦島は、再びその歴史を蘇らせていた。  

明治日本の産業革命を支えた端島(軍艦島)

 

長崎港から南西約20kmの海上に浮かぶ、面積6.5haほどの小さな端島が軍艦島と呼ばれるようになったのはシルエットが軍艦「土佐」に似ていたことから

「軍艦島」と呼ばれるようになりました

 

 1810年(文化7年)ごろ、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。

 1890年(明治23年)、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始された。

端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきた。石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、

 1960年(昭和35年)には5,267人が住んでいた。

当時の人口密度は世界一。東京人口密度の9倍以上とも言われるほだった。

島内には、病院や学校寺院神社派出所や映画館理髪店などが立ち並び、島の施設だけで何不自由のない完全な都市として機能していた。

 

島の半分以上は鉱場。その残りの土地に病院や学校寺院神社派出所や映画館理髪店などが立ち並んでいたため、建物と建物の間はとても狭く、島全体が家族のように仲良く暮らしていた。

繁栄を極めた軍艦島だったが、主要エネルギーであった石炭がその座を石油へと移ることにより衰退の一途をたど

 

 1974115日に閉山、この年の420日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となった

 

 2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。

 

 

クルーズ後は、長崎県庁新庁舎見学のため県庁へ移動。まず庁内にある眺望抜群のレストランで各自昼食を楽しみました。

新庁舎内は2名の県職員の方が、丁寧な説明もとに案内してくれました。

庁舎は近代的な建物で、随所に長崎らしさが工夫され、県議会議場には、子ども連れでも傍聴できる部屋が、狭いスペースながら用意されていました。

展望室は夜9時まで利用でき、花火大会時には整理券が配布されるとのこと。

新庁舎は、平成2912月に完成し、平成301月から業務が開始されている。