平成 29年度  活動計画

平成29年度 活動報告

研修会 第1回「長崎学探求」   出島界隈 巡り  H/29 / 5/10(水)

29年度、同窓会とサークルの協賛で研修会「長﨑学探求」を企

画、510日に第1回「長崎学探求・出島界隈巡り」を開催しま

した。この研修会では、歴史・文化等を楽しく学びながら,同窓会会

 員と学生たちのふれあいの居場所づくりを目指しています。

研修会 第一回「長崎学探求出島界隈巡り」報告書 

 

 出島和蘭商館跡

  1634年、江戸幕府の鎖国政策の一環として築造された扇型の形の

 人工島。貿易が行われていた当時、出島には住居や料理部屋、蔵、

 番所など49棟もの建物があった。現在、当時の住宅や蔵など25棟を

 復元中で、201610月現在復元された建物は計16棟になる。

  2017年11月には、出島と対岸(江戸町側)を結ぶ「出島表門橋」

 が約130年ぶりに完成した。

 

 

十八銀行 史料展示室

 明治10(1877)創業の十八銀行の前身である永見松田商社、立誠

 会社関係文書、第十八銀行創立時の承認状、古写真や紙幣など長崎

 経済の歴史を知るを知るうえで貴重な資料が展示されている。

 

長崎税関 資料展示室

 普段はなかなか馴染みがない税関の歴史、役割を担当者が詳しく説

 明され、開港、税関空港で輸出入貨物の手続き審査、関税、船舶

 航空機の違法取締りなど理解出来、近代黎明期の長崎の豊かな歴史

 を学ぶ貴重な機会を得た研修会となった。

 

講演会「くすりの上手な使い方」

 「くすりの上手な使い方」

 ✾ 日 時 101日(日) 15:30~17:00

 ✾ 場 所 長崎学習センター 4階  第2講義室

 ✾ 講 師 川上 茂 先生(薬学博士・薬剤師)

 「受講後記」

くすりの正しい飲み方、ジェネリ

ック薬品、健康食品、及び未来の

新しい薬との付き合い方など、わ

かりやすく説明・解説いただき

楽しく拝聴できた。普段、健康で

あれ、そうでなくても中々気付き

にくいくすりの諸事項は大いに

考えさせられました。

ありがとうございました。

 


研修会 第2回「長崎学探求」  海援隊・龍馬の足跡を辿る                                                                                                      H/29/10/11(水)

 

     研修会 第二回  「長﨑学探求」 龍馬の足跡を辿る 報告書 

                    

 風頭公園  

 

 長崎の市街地、港を見下ろす風頭山(標高152m)にあり、ハタ(凧)揚げの名所として賑わいを見せる。 公園には幕末に近代夜明けのために奔走した風雲児 坂本龍馬の銅像が建立され、ロケーションもすばらしい、龍馬ファンには必見の人気スポット!

   近くには、日本の近代写真の元祖・上野彦馬の墓、唐通亊(通訳)の墓、当時の採

   石場跡、長﨑物・長﨑ハタ(凧)館も近くにある。                                               また、公園からの夜景(世界新三大夜景)も格別美しい!   

      

 

 若宮稲荷神社(伊良林稲荷神社)  

 

  伊良林地区にある若宮稲荷神社は、多くの人々の崇拝をあつめ、300年以上の歴史を誇る。  幕末期には坂本龍馬や、亀山社中(後の海援隊)の志士も参拝に訪れたことでも有名ですが、毎年10月中旬に行われる秋祭りで奉納される『竹ン芸』(市指定無形民俗文化財)は、伝統芸能としても有名!

        境内の一角には龍馬の原像が、近くの亀山社中跡より移設されている。 

                                                    

 

 亀山社中資料展示場(長崎県指定史跡)  

 

   土佐藩を脱藩した坂本龍馬や、全国から結集した同志は、軍事的、政治的、かつ商業的な、日本最初の本格的会社組織の亀山社中を慶応元年(1865年)に立ち上げた。資料展示場には龍馬学の資料等が所狭しと展示されている。  「社中」とは、人が集まるという意味、地名(伊良林)の亀山から「亀山社中」と称した。結社2年後には、後藤象二郎の率いる「土佐商会」に吸収併合され、「海援隊」に改称した。その「海援隊」も龍馬の死後一年余で解散する。

 

 

 浄土宗・浄安寺 

                                                                                                        

        龍馬通り(通称)の石段を左右墓地群、市街地を眺めながら下ると、寺町通りの一角にあり、寺町界隈寺社群の一つである浄安寺の山門前に着く。寛永元年(1624年)創建の浄土宗のお寺で、石段入り口の山門上には寺町界隈寺群で唯一の「山門の上に梵鏡が・・」行きかう人々を見おろしている。狭い境内敷地内での有効利用の活用なるものか? 

     また、本堂の天井には巨大な婆羅門(バラモン・凧)が吊下がっている。これは1780年頃第13代住 職によって作られたもので、現在はレプリカとのこと。

                                   

                                    平成291011日(水) 参加者23名

 

長崎学習センター 研修旅行       平成29年11月14日

学生研修旅行に参加して   

全科履修生 溝口健治

                       

 今年度の学生研修旅行は、曇天のなか晩秋「やきものの里」、有田路の町歩き探訪日帰りの小旅行である。

昨年、私的にほぼ今回と同じようなコースを探索していたので、今年は「九州陶磁文化館」の見学を目標とこころしていた。 都合がいいことに、九州陶磁文化館では丁度、熊本地震の復興を記念する特別企画展「熊本のやきもの」展が開かれていた。近世から現代までの130件を展示、有田で火の国肥後の名品群を堪能できるとは思ってもいなかったので、驚きと同時に嬉しさが交差した。

 先ず有田町刊観光ガイドブックを読んでみる、・・「有田焼とは、佐賀県有田町とその周辺地域で製造される磁器をさします。 十七世紀初頭、朝鮮人陶工李参平氏らによって有田町で磁器の原料となる陶石が発見されたと言われています。 日本で初めて磁器が焼かれた産地として、300年間、食器や美術工芸品を中心にしたものづくりを続けています。」と記している。

 次に、「熊本やきもの」展のコーナーでは、名品群の中で、特に印象深かったのは、ぽってりした胴、とろりと渋い鉄釉(てつゆう)の肌に、白い藁灰釉(わらばいゆう)が流れ、焼物口の辺りにオレンジ色が点々とさし、何とも愛嬌がある、茶の湯華やかなりし頃、茶席を和ませたに違いない名品「鉄釉藁灰釉流耳付水指(てつゆうわらばいゆうながしみみつきみずさし)」、一体どんな陶工が作ったのか?・・・。それは江戸時代の初め、肥後を治めた加藤家没落を受け、新しく熊本藩主となった細川氏が、現在の荒尾玉名にまたがる小岱(しょうだい)山に、豊前ゆかりの上野焼(あがのやき)の腕利きの陶工たちを豊前を離れる際伴ってきた名もなき(?)名工の作品である。

 九州陶磁文化館での研修は、時間の制約のあり、アッという間に見学一時間が過ぎてしまい、後ろ髪を引かれる思いであったが、晩秋の有田探索研修会、充実感を味わう学生研修旅行であった。              

 平成291115日 

 

         < 参考文:有田町観光ガイドマップ『有田』より一部引用〉

         < 参考文:西日本新聞2017年11月11日「もっと九州」より一部引用〉

 

平成29年度「卒業研究発表会」のお知らせ   平成30年2月10日(土)

210日に開催した「卒業論文発表会」へは、多くの方にご参加をいただき無事に終了しました。ご協力いただきました関係者各位様に心よりお礼申し上げます。